備忘録

読んだり観たりしたものを記録します

それぞれのひかり

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合わない作品を観ると自分の輪郭がよくわかる。

合わない作品、苦手な作品を観た時にこそ言葉にして残すべきかもしれない、と思い立ち書いてみる。

 

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先日、杉田協士『ひかりの歌』をポレポレ東中野にて鑑賞した。実は去年のフィルメックスで観た『春原さんのうた』が自分にはもう全然ダメで、シネフィル界隈からも評判が良い今作ですら観るのが怖かった。

結果的には普通に、いや正直良かった。女性として見られてしまう故の気持ち悪さや歯痒さ、申し訳なさが混在した2章なんかはかなり好き。一部肉感のあるエロティシズムを感じさせるチグハグさももはや良い意味でおかしかった。ショットも随所でかなりキマっているし。それでもやっぱり杉田監督の作品には自分の求めているものはないような気がした。

 

両作ともひたすらに優しく親切だ。出てくる人々は基本みんないい人。誰も価値観や説教を押し付けない。その優しさは『春原さんのうた』では扉や窓を開く動作、吹き抜ける柔らかな風と光にも表される。文字通り開かれた映画だ。ただ開かれているわけでなく、アクション繋ぎだって上手い。その一方でかなりハードコアな作風だった。省略に次ぐ省略、ここまで省略してはもはや何もないと同義ではないかとさえ思う。

ちなみに『ひかりの歌』ではその省略がちょうどよく機能する。1章ではさっきまで日が差していたはずなのに気付いたら日が暮れている。物語がわかる範囲内でサクサク進む。次のカットで平気で数時間飛ぶ。それぞれのストーリーは繋がっていく。2時間半の長尺も長いは長いが、長ったらしいという印象は持たなかった。

全体の印象しか書かないとなんだか空虚なので具体的に書く。2章、ガソスタでの夫婦とのハグが特に良い。勘違いおじさんたちの気味の悪さはよく描けている。3章、貸してあげる上着に「また会えるよ」って言葉は咄嗟の一言だとしても嬉しかった。皆よく食べよく飲む。出てくるごはんはちゃんと美味しそうに撮られる。でもそもそも題材となる短歌が全然よくない。1章「反対になった電池が光らない理由だなんて思えなかった」だけは遅れてやってくる悲しみみたいで良いなと思った。披露される歌もキッチュなものばかりで、タイトルの「うた」部分はきっと歌であり詩なのだろうけど「うた」と名乗る作品としてそれはどうなのか。

 

日常を大切に扱い隣の人と手を差し伸べ合う。いきなり家を飛び出しても誰も怒ったり責めたり理由を問いただしたりしない。「ただいま」と「おかえり」が待っている。お世話になった人には礼儀正しい。そんないつもにこやかでいられるような距離感の心地よさに惹かれる気持ちもわかる。多分その優しさが向いてなかった。どうやらわたしは映画に優しさを全然求めていないらしい。いわゆる"not for me"。恋人はどっちも泣くほど好きみたいだけど。でも分かり合えないものを分かり合う必要も別にないし無理に寄り添わなくたっていい。あなたはあなたでわたしはわたし。